実はこの1ヶ月ほど、度重なるプチ災難(主に水難…)と、自身や子供の病気の魔のループに四苦八苦していました。
ロンドンで少し体調は良くなったかと思いきや、あまりにもハードなスケジュールと時差と寒さに、帰国直後から寝込んでしまい。
5日目の今日、ようやく少し気力が戻る。
年末から、嵐のような変化が続き
そのあと一気に体調不良のうねりへ突入。
同時並行で、ありえない水難事件が何度も続き、
そしてまた体調不良。
の、波がようやく、少し、落ちついたかな?と直感で感じた今日
出版の話が大きく進み
イベントの登壇のお誘いや
他のプロジェクトのスポンサリングの話
また、ロンドン経由でシンガポールの素晴らしいキーパーソンを紹介されたり
…などなど
そのようなお話が
突然、一気に舞い込んできました。
不運は前兆。何かの変化の。
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大自然の中で、姉弟が人生について対話をしていくというストーリーの
マイケルドリス(訳 灰谷健次郎)「朝の少女」。
全米で子供に読ませたい本ベスト5にも選ばれたらしいですが
その中の一節。
もの音を立てないようにしていれば、
ふだんみえないものまでが見えてくる、
と父さんはいった。
どんなものでも、おまえからかくれたり、おまえが通りすぎるのをじっと待っていたりしない。
だからこの世の何に対しても、おまえは礼儀正しくふるまわなくてはならないのだよ。
たとえ不運な出来事であっても
人は、それを避けて生きていくことはできない。
どんな人でも、辛いことは起きる。
だけど、どんな出来事であっても、自分なりに精一杯、ひとつひとつに真摯に向き合うこと。
そして、嵐の中にいるときこそ
大きな声で騒ぎ立てずに、
じっと息を潜めて観察することで
たくさん、いつも以上に見えてくるものがある
…
そんなことを、今回のプチ不運の嵐に重ねながら、
この本の一節を引用して考えてみました。
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