人と比較をされたときの心の守り方

他人との比較はやめよう、自分軸で生きていこう。

と、よく言われる。聞く。

だけど、

自分は比較を放棄したとしても

他人から比較をされた時に、
もっというと、
比較をされて「下ですね」と誰かから言われた時
私たちはどうすれば心を守れるのだろうということを
最近はよく考える。

上には上がいる
下にも下がいる

いや、そもそも上とか下とか何だろう。

「比較をしない」はできても
「比較をされないこと」は難しい

だけど

比較をした人は誰か
それは自分にとって大切な人か
そもそもその比較の物差しが、自分の生き方や価値観に合ったものなのか

を、冷静に考えると
たとえ「下」認定をされたとしても
傷つかないのではないか

そんなことを、クルクルと考えます。

でも、会社であれば「比較」は仕方がないもので
誰かの上だの下だので、お給料や居場所が変わる。


そういえば
私は私立の小学校に通っていましたが
地域の活動や習い事
たくさんの異なるコミュニティに属することで
たとえ学校での評価が「下」であっても
それ以外の場所で
私を認めてくれる場所があった。

それが救いだった。

いまとなっては
小学校の価値観ごときで自己評価を下げる必要もなかったのだけど
それも、その世界を離れたからこそ見えたこと。

そして、複数のコミュニティにいたからこそ
心が守られた。


おとなだって、そうである。


Learning for Impact

「学ぶことで世界は変わる、世界を変える」・・日々の「学び」を記録に。 <池原まさこ> エグゼクティブ&キャリア女性のコーチングを手がける MANABICIA代表。東京で一人、0歳児の子育て中

1コメント

  • 1000 / 1000

  • sftakalovene

    2017.05.19 15:44

    本当にそう、思います。 丁度、今日、この答えを私も出したところだったんです。 いくつものコミュニティーを持ったり。 いくつかの居場所とか、世界を持っていることは。 ふっと自分を切り替えられるんだなって。 女性の特権でもある気がします。もちろん、男性と区別するつもりではないんですケド。